レミゼラルブを見て
8月に、ファーストクラス世界1周に出発する予定です。
最初は、羽田からANAファーストクラスでニューヨークへ向かいます。
ニューヨークでは、タイムズスクエアー で4泊する予定です。
ニューヨークの中心であり、ブロードウェーの中心なので、歩いてミュージカルを見にいけます。4夜ともミュージカルを見て、ムージカル三昧と行きたいところです。
諸般の事情(結局ポイントを貯めるということですが、)からu-
nextに加入したので、何か映画を見よう、それならブロードウェーミュージカルの予習をしようということで、レミゼラルブを見ました。
19世紀前半のフランス
小学生の頃、少年少女世界文学全集的なものでヴィクトル・ユーゴー作「ああ無情ージャンバルジャン」をお読んだことはあり、よくわからない小説だという印象だけが残っていました。
小学生時代に、理解できないのは当然で、今、年金世代という年になってもよく理解できませんでした。
ストーリーは、妹の子供の命を救うためにパン1つを盗んだジャンバルジャンが、懲役5年の刑をうけ、その間に何度か脱獄したので結局19年間懲役をうけ仮釈放で出所するのですが、仕事もなくお金もないので教会の銀食器を盗むのですが、司祭が「それは彼にあげたものです」と証言することにより罪を逃れ、真面目に生きようと決心したところから始まる複雑な人間模様を描写し、1832年のフランス7月革命に遭遇するということですが、「ああ無情ー悲惨な人々」とも訳されるように、当時の人々の人生の悲惨さ、キリスト教との関わりを描いたもので子供にはとても理解困難な作品のように思いました。
こんな難しい題材を子供に読ませる意図がよくわかりません。
今の日本との違いの大きなもの
映画をみて思うのは、当時の人々の悲惨な生活と、今の人々の生活の違いは、生産性です。圧倒的に違います。
社会体制の違いではありません。
そう考えてみると、多くの人が幸せに生活していける社会を実現するには、生産性をあげるということです。その後の分配の問題は、2次的な問題です。
生産性をあげることに正面から向き合わない日本社会
日本のマスコミは、マスコミ自体が独占体制にあぐらをかき、競争を排除した利権社会に生きているので、利権を無くし公平な社会を実現することに反対し、利権を温存するために、社会の変革を拒否し、生産性の低いものを温存しようとする体質を持っている。
「安心で安全」「生命の大切さ」これらは、今の日本で誰も反論できない重要な価値観です。
ですが、「安心・安全」を実現するために、1万分の1の可能性もない危険を除去するために、何10億、何百億の装置を備えなければならないのか?「生命は大切」だから、植物状態で意識もなく生きている人の生命を守るために、毎月100万円以上の税金を投入すべきなのか。こうした真剣に考える風土がありません。
もう少し卑近な例をあげると、「おもてなし」というのは、観光産業にとって大事な精神です。しかし、「おもてなし」でむやみやたらに人力を投入し客にお付き合いするのはいかがなものでしょうか。ホテルについて、欧米のホテルは、余計な場所の人を減らしコストを下げていると思います。人件費の安い東南アジアでは人をたくさん使っていますが、欧米並みに人件費の高い日本で人を多く使うことは無駄です。
日本旅館で見られた、中居さんがずらりと並びお辞儀をする風景など無駄の代表のように思います。
ウィーンの地下鉄で経験したことは別のことです。
ウィーンの地下鉄には、改札がありません。ですから、切符なしでも地下鉄に乗れます。しかし、時々、多くの警察?職員?が一斉に車内に乗り込んできて、検札をします。その時に切符を持っていない、無賃乗車者は、驚くほど高額の罰金を取られます。
常時、改札、検札に人を配置したり、機械を設備することのコストと、時々多人数で検札することにコストを比較して、後者がコストが低いという実験に基づく措置だと思います。
何気なく過ごしている過去からの慣習について、コスト意識、生産性意識を持って考え直し社会を変革することが、生産性を上げ、ひいては多数の人々の幸せに結びつくのではないでしょうか。
レミゼラルブを観て、こんな感想を持ちました。
世界1周までに勉強すること
8月の世界1周までに、旅先に関係ありそうな映画を観たり、旅行記を読んだりして、予習をして生きたいと思います」。